「読み書き算盤」の大切さ。
- ObokataTakayuki
- 2022年7月19日
- 読了時間: 5分
参加している(一社)ジョブラボぐんまが主催するSCBイノベーションアカデミーぐんま校のカリキュラムを群馬県庁32F官民共創スペース「NETSUGEN」にて行っている。昨年に引き続いての開校だが、今年はどんなテーマにするか2~3ヶ月悩んだ末に、論理的思考をテーマにすることで進めてきた。
この講座では、論理的思考/ロジカルシンキングをビジネスパーソンの素養として位置付けている。ここで言うビジネスパーソンとは、「仕事」をしている全ての人という意味。これからの時代、備えておくべき必要だと思っているのだが、理由は後述する。
<読み書き算盤>
「素養」と言われて思い出すのが、昔から言われている「読み書き算盤」である。
コトバンクによれば、「文字・文章を読むこと,内容を理解して文章を書くこと,および計算すること,ならびにそれらができる能力をもっていること。とくに近世末期以降,初等教育における基本的な教育内容とされ,また初等教育で獲得させる基礎的な能力・学力をいう。読み書き算ともいうが,日本では幕末から明治にかけ,計算は主としてそろばんで行ったので,これを〈読み書きそろばん〉といってきた。」と書かれている。
文字は知っていれば読めるが、文章は文字を追っていても読めるかもしれないが、内容を正しく理解できるかは別の話。同様に、文字を知っていれば文章を書けるが、内容を理解した上で正しく文章が書けるかも別の話となる。そして、興味深いのが、算盤=計算なのだが、「それらができる能力」と説明されている点である。
私たちは、この能力を「論理的思考方法/ロジカルシンキング」だと考えている。
<情報の認知と取捨選択>
インターネットの登場以降、世の中のほとんどのことは可視化されてきた。その結果、多様性を認める社会となる。マスメディアが作ってきた、統一的な価値観、画一的な価値観とは違い、細分化した価値を認め合い、尊重しあうことで、多様な価値観の中で生きていくことが必要になってきたと言える。
一方で、この数十年の間に、行き交う情報量は格段に増えている。
「令和元年版 国土交通白書」によれば、「世界のインターネット上の情報量(1日当たり)は1992年(平成4年)に100GBであったが、2017年には40億GBとなるなど飛躍的に増大し、2022年には130億GBになると予想されている」
これによって、私たちは大量の情報を毎日取捨選択するようになり、加えて、「捨てた情報」については見向きもしない。存在すらわからないので、むしろ、存在していないような錯覚の中で生きているのである。
加えて、大量の情報からユーザの趣向に合わせて情報の取捨選択をテクノロジーが実現している。これでは益々その存在に気づくことはない。マスメディアの時代は、一部の情報提供者の文化で情報発信をしていたが、今では、個人が情報提供者になるだけなく、フォロー機能によって、自分への情報提供先をユーザが選べるので、益々情報が偏る傾向にある。
その結果がネット上で起きる炎上だろう。
世の中の情報(というか事実)の多くは、自分の生活や仕事に影響する可能性は限りなく低い。芸能界のこと、スポーツ界のこと、その世界の中の常識で暮らしてきた人たちの普通が明るみに出た時、今まで全く知ることもなく、その存在について対して考えたこともなかったであろう人たちが、自分の常識と照らし合わせて大騒ぎする。仮に、他国の常識であっても、自分の認知の範囲を越えれば非常識となる。ここに「多様性」など存在しない。
普段気にも留めない世界の話であれば、それが明るみに出ても「そういうものなのか」と容認し合う。だが、当事者たちの中から、その世界の常識がおかしいと声を上げる人がいるなら、その人を全力で応援すればいいと思っている。
<情報過多の時代のコミュニケーションスキル>
私たちは、多様な価値観の中でどのようにコミュニケーションを行うか?と考えた時に必要なのが、論理的思考/ロジカルシンキングであると考えている。論理的に思考できれば、初めて知った業界の常識であっても、それを理解し、理解した上でアップデートしたり、改善することが可能だ。むしろそれしかないと思っている。
その上で、理解するために読み、伝えるために書くことが大切で、情報過多の時代だからこそ、尚更、正しく能力を発揮しないと、文字を読めても理解できないし、文字を書けて伝えることはできないと考えている。
加えて、背景や環境など様々なバックグランドを持つ人たちが建設的な議論を行うには、皆が同じ作法を知っている必要がある。言い換えればマナーである。論理的で建設的なコミュニケーションは、ビジネスパーソンのマナーと言える。短絡的な思考はその真逆にあり、今後益々必要とされなくなるだろう。
そして、多くの教育機関でも論理的思考をプログラミングで学ばせるようになってきた。(研究者によれば、「プログラミング思考」を「計算的思考法」の誤訳として説明する人もいるが、私自身の理解としては、その厳密な違いは私たちの生活にはさほど影響しないので、あまり深く考えていない)。これから社会に出てくる若い世代には備わった素養であり、彼らとのコミュニケーションが建設的であれば、現在の価値観に自分たちの仕事のアップデートがスムースにできるのではないかと考えている。
計算論的思考法の研究者の方の中には、読み書き算盤と同じように計算論的思考法が必要だと説いているが、むしろ、算盤こそがそれであり、インプット(読む)、思考(算盤)、アウトプット(書く)の3つを基本として考えた方がしっくりくる。この思考にあたる部分に色々な「思考法」が提唱されるわけだが、「論理的」であること以上に大切なことはないと思っている。
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